| 「夢ある」のお手伝いを始めたきっかけは、会社を立ち上げた和田清華さんが、社外の人に依頼講演するスタイルを確立したあと、自分自身も語り始めた最初の講演会で、彼女自身が受付をして、お金の管理をして、と働いているのを見て、これは大変そうだなあ、何かお手伝いしたいなあと思っていたところ、しばらく経って和田さんのほうから「スタッフをやってみないか」という声がかかり、お引き受けしたのが始まり。
ただし彼女のお誘いは、何も人手不足で困っているからということではなく、社会人3年目で所属していた部署から外されたと思って後ろ向きになっていた私を、シャンとさせたいという思いやりからだったのではないかと今は思う。
「夢ある」と関わると決めたときから、人生の軌道が確実に変わった。そんな感じがするとかそう思うとか、そういう曖昧なことじゃなく、それはもう、確実に。
とはいえ実際に私が携わったことは思い出そうとしてもほとんどなく、「夢あるスタッフ」であるという位置をいただいていただけだったというのも事実。何も貢献できたことがなくて、いまこうして改めて振り返ってみると「夢ある」にも和田さんにもスタッフの仲間たちにも申し訳ないと反省するばかりであります。
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10代のころ、将来なりたいものは?と訊かれたりすると、ひねくれて「シロクマ」なんてこたえていた・・・これはきっと現実逃避。なりたいものがあったときもあったけれど、口に出せばことごとく親や先生や周りの人に「無理無理」と軽くあしらわれ、だんだん本音がいえなくなっていった。それどころか「言わない」本音はだんだん自分でも見えなくなってしまった。
高校の卒業文集には仕方なく「素敵な人になりたい」と書いた。その時点ではっきりした「素敵」が思い浮かばなかったので、ぐだぐだと「そのときどきの自分が良いと思う自分」であればよいというようなことを書いた。
その頃の自分と今の自分、比較してみると、たいして変わっていないことに驚く。
最近髪を切った。三重へトランペットを吹きに行って、その帰り名古屋でちょっと空いた時間に通りがかりの初めて行く美容院で。美容師さんを困らせて申し訳なかったけれど、良いお天気だったし気分を変えたい一点以外、何も考えていなかったので「お任せします。どんな風でも怒らないから」と言ってお願いした。
その後1,2週間のうちに高校時代の友達・大学時代の友達と再会したら、変わらないね、髪形さえも同じだって。
なんだかおかしかった。人はそうそう変わらないのだ。
でも。消極的に、言葉が思い浮かばないために、原稿用紙を埋めるために、書いていたあの頃の自分と、今32歳になってさえ「なりたい自分」がやっぱりわからないでいる私、だけど今は積極的に「わからない」からこそ自分の人生を楽しんでいる自分とは、だいぶ違うってことを知っている。
学校を卒業していろんな人に会ううちに、人は自分の人生しか生きられないってことがよくわかった。「夢ある」で学んだのはそういうこと。
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