| 森本光由希さん(フリーライター) | ||||
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| ◇個人ブログ ⇒ http://plaza.rakuten.co.jp/putiputiyukkii/ | ||||
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「いつだって一生懸命」 |
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■専業主婦 「私がお母さんになったら、働かずに家にいる」10歳の時にそう決めた。6歳からかぎっ子だった私は、立て付けの悪い玄関の戸が開けづらく、いつも心細かったから。 10歳の決断通り、私は専業主婦になった。ほどなく夫が転勤になり、見ず知らずの土地に移り住む。その地で唯一頼れるはずの夫は、深夜にしか帰らない。子どもたちは人見知りがはげしく、預けることなど考えられなかった。「全部、私ひとりでやらなくちゃ」体力は限界でも、倒れるわけにはいかない。いらだちが子どもや夫に向うなんて日常茶飯事。子どもが寝た後、食事の後片付けもせず、呆然と夫の帰りを待っていたこともあった。夫を見るなり泣き崩れる。原因はいつも自己嫌悪。 「今日も怒鳴ってしまった。『いいお母さん』になれない!」 ■テニスが全ての始まりだった そんな頃、ママ友からテニスに誘われた。 「まだ末っ子は1歳半だし…」 「ウチも1歳だよ」 子供を泣かせてまで、自分が楽しんでいいの? 母が犠牲になることは当り前でも、自分の趣味のために子供を犠牲にするなんて、自分勝手な鬼ママみたい。 結局、やりたい気持ちは止められず、「1回だけなら…」と参加した。子どもが気がかりで楽しめないのでは・・・なんて杞憂は、ものの5分で忘れ去られた。ただボールを追いかけること、頭の中が空っぽになることが、どれほど爽快だったことか。母になってから初めての感覚だった。私はどっぷりハマってしまった。 ■ツキモノを落としてくれた集団保育 一緒にテニスを始めたママ友は8人。その子どもたちは総勢18人! 私たちは、4人ずつ練習に行き、残りが18人を保育した。この集団保育は、18人もいる大変さより大勢の楽しさの方が大きくて、私から変なツキモノを落としてくれた。 私にはずっと、理想の子ども像があったようだ。子どもは元気で素直、明るくて食いしん坊・・・。そんな勝手な幻想にわが子が当てはまらないから、苛立ちと焦りを覚えていたのだ。 だが、集団で子どもを見ていると、それぞれの個性が浮きあがって見える。やんちゃもいれば、引っ込み思案もいる。泣き虫も、すぐ叩く子や噛む子もいた。みんな長所と短所の両方を持っていた。うらやましいほど元気な子の親はその乱暴ぶりを嘆き、美味しそうになんでもよく食べる子の親は肥満を恐れていた。親はわが子の短所だけがよく見えて、みんな悩んでいた。子どもの事でイライラしていたのは、私だけではなかった。みんな似たような悩みを語り合い、笑い飛ばした。重く辛い育児が軽やかになった。 「ひとりで抱えていたから辛かったんだ。仲間がいれば、育児って楽しい!」 わが子たちも、ママ友の最初の言葉通り、すぐに慣れて友達と楽しく遊び始めた。それにテニス後の私は心穏やかで、子どもたちや夫にやさしくなれた。 ■子どもから見た母 その後、我が家は何度か転勤し、そのたびに新しい仲間を探した。もうひとりでは抱えられないから、どこへ行ってもいろんな人とネットワークを作った。以前の私のように、ひとりで抱えている人も誘った。 ネットワークの目的は、子どもの年齢やその時の興味、出会った人などによって、変わっていった。テニスに保育ボランティア、フェミニズムに講演会企画・・・。いつも「何か」はしていたが、転居のたびに変わる「つまみ食い」ばかりだ。だが、やっと仕事を再開した今、「無駄なことは何もない」と思う。専業主婦で育児に悩み泣き叫んだことも、無駄ではなかった。経験したからこそ、書けるものがある。ライターとなった今、全ての経験は財産である。 専業主婦でいた12年間、私は人生からリタイヤしたようで悲しかった。でも、子どもたちにとっては、ずっと何かをする母だったようだ。 「仕事」「給料」にこだわって「認められない」と、私が勝手に嘆いていたのかもしれない。子どもたちには、「給料」より「一生懸命な姿」が大切なのだろう。子どもの方が、本質を見抜いている。 だから、これからも今を一生懸命に生きようと思う。仲間を作って楽しく生活しよう! その姿を見せれば、子どもは勝手に育っていくと思う。そして、子どもに育てられて、親も成長できるはずだ。 |
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