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  講演&瞑想会 開催予告 in 伊勢  
 

あるがままを受け入れ、「今、ここ」に生きる
〜日常生活に応用できる瞑想法〜

 
   

講師:日本人僧侶 プラユキ・ナラテボー氏
日時:2011年12月10日(土) 13時〜18時
     (12時半:開場/13時〜18時:講演&瞑想&質問等/休憩は適宜)
場所:伊勢 日の出旅館
     最寄/近鉄&JR 伊勢市駅(JR側出口)より徒歩3分。
     住所/三重県伊勢市吹上1-8-35→地図
主催:私には夢がある
費用:5000円 (当日払)
定員30名(申込順)
備考:
参加費は、諸経費を除いた分を、プラユキさんのタイー日本往復渡航費、国内旅費及びタイ農村開発活動サポート資金[お布施]としてお渡し致しました。

 

 

参加申込

 
 


上記ボタンより、お申込みください。すぐに折り返し確認メールが届きます。確認メールが届かない場合はご記入いただいたメールアドレスが間違っている場合があります。再度お申込みいただくか、お問い合わせください。

 

 

講師:プラユキ・ナラテボー氏 Profile

 
   

本名、坂本秀幸。1962年、埼玉県生まれ、48歳。タイ・スカトー寺副住職。異国の地・タイの山寺で出家して仏道修行に励むこと23年。黄色の僧衣まとい、ブッダの道を歩む。ブッダの道は経典の中だけではなく、日々の瞑想に真髄がある。その瞑想を学ぼうと、日本からわざわざタイの山奥の寺を訪れる日本人は数知れない。

タイは上座仏教という出家仏教。出家した僧侶が悟りの境地に達する手法として、瞑想が用いられる。そういう意味でプラユキ氏は、瞑想歴23年、自分の心と付き合う達人といえる。「今、ここに、確かにいる」ということを大事にする「気づきの瞑想」は、あらゆる種類の瞑想の土台となり、日常生活にも取り入れやすい瞑想法である。

タイに行くまでの経緯は、上智大学卒業後、タイのチュラロンコン大学 大学院に留学したことから。それまでも発展途上国をよくしようとボランティアやNGO活動に励んでいて、タイの僧侶が農村開発を行っている姿に衝撃を受ける。机上の学問に飽き足らず、1年後の1988年、瞑想指導者として有名なカムキエン僧のもとにて出家。以後、自ら村人と ともに物心両面の幸せを目指し、東北タイのチャイヤプーム県スカトー寺の僧侶として活躍することになる。

タイ大使館主催のソンクラーン祭り(タイの正月を祝う祭)に招聘されたり、在日タイ人の支援活動にも携わる。 著書に『気づきの瞑想を生きる』、監訳本に『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(ともに佼成出版社)がある。

プラユキ・ナラテボーという名は、「プラ」はタイ語で僧、「ユキ」は日本名の秀幸より、「ナラ」はパーリ語で男の人、「テボー」は天使・神といった意味を表す。

 

 

内容

 
 

<講演の部>
●そもそも仏教って何? タイ仏教って何? 瞑想って何?
●心の苦しみはなぜ生じるのか、どのようにすれば逃れられるのか
●心を今にとどめる方法とは

<瞑想の部>
●「今、ここ」の気づきの瞑想法とは
●実際に瞑想を体験
●瞑想のエッセンス、注意点、日常への活かし方など

 

 

毎日新聞(2009年10月09日)の記事より抜粋

 
 

「プラユキ・ナラテボーさん タイで出家した日本人僧」

タイ・バンコクの北東350キロ、深い森の中にあるスカトー寺 で修行して21年。悩みを抱えた日本人の来訪が相次いでいる。相談体験を織り込んだ自叙伝 「『気づきの瞑想(めいそう)』を生きる」(佼成出版社)を8月に出版した。

学生時代、障害者や難民の支援活動に参加するが、人間関係に行き詰まる。そんな時、仏教の教えを基に社会問題に積極的に取り組むタイの僧と出会った。タイに留学し、「3カ月のつもり」で出家した。現在、寺の副住職。

毎日、午前4時から読経し、その後、地元の村で托鉢(たくはつ)。道端で手を合わせて待つ子どもやお年寄り。湯気の立ち上るご飯が次々と布施される。村中を走り回る犬や鶏。命が満ちあふれる。

この10年、約300人の日本人が相談に訪れた。何度も自殺を図った人もいる。寺に泊めて、何日も話を聞く。托鉢に連れて行き、笑顔いっぱいの村人と接してもらう。

「今、日本では人と人のつながりが失われ、孤独になりがち。1人でこもれば妄想が膨らむ。思考が暴走しやすくなっている」と分析する。

「仏陀(ぶっだ)は自らの体験で実証された。苦しみはどこからくるのか洞察し、しっかりと対応していけば、苦しみはなくなることを。仏陀の教えの核心はここにあり、私たちへの生きたメッセージ」と語る。

悩みや苦しみを抱えた時、自分を守るには「今、この瞬間を生きていることに気づくこと」
が何よりも大切という。

 

 

プラユキさんからのメッセージ

 
   

年間に3万人台の自殺者が出るという現代日本。一日に換算したら100人。未遂者はその十倍と言われる。今日一日だけでも約1000人が日本のあちこちで自殺を試みたことになる。

つい最近も私の寺に、(投身)自殺未遂一歩手前までいったという20代の女性がやってきた。不遇な家庭環境。十年間にわたる心を病んだ生活。そして自死寸前までのストーリーを聞くと、やはりこれまでに出会った自殺未遂者たちと似たパターンが浮きあがった。いい「出会い」ができていないのだ。「出会い」を仏教語では「縁」という。

「良き縁に触れ、良き縁となし、良き縁となる」

ブッダの8万4千本といわれるメッセージをざっくりとまとめると、そんな言葉に集約されるのではないかと最近思っている。他の仏教用語を用いれば、「善友、智慧、慈悲」。料理になぞらえれば、「買い物、料理づくり、提供」。美味しくて栄養のある料理は、私たちの生命力をイキイキと活性化する。同様に良き縁は、人に喜びと智恵をもたらし、共に幸せに生きる道をひらく。

上述の20代女性は自殺決行寸前に良き縁に触れた。自死を思いとどまり、私の寺に来ることになった。そして一週間、良き縁となす技を磨き、良き縁となる自信を得た。来たときとは見違えるほどの明るい表情で人生を再スタートした。

仏教でいう「縁」は、人との出会いだけにはとどまらない。環境と接触する際に生ずるあらゆる感覚体験、内面に生ずるさまざまな心の体験。それらすべてを「縁=出会い」とみなす。「瞑想」とは、そういったひとつひとつの「縁=出会い」を大切にし、苦しみの種にするのではなく、喜びと智慧に昇華させる、そんな心の育成法でもある。たとえどんな縁に触れようと、心「くさらせる(腐らせる)」ことなく、心「くさる(苦去る)」ことができるようになるのだ。

とりわけ「気づきの瞑想」は、コツさえちょっとつかめば、私たちの日常生活のひとコマひとコマにおいて実践できる。お料理も、お掃除も、会社での仕事も、子育ても、友人たちとのたわいない会話も、そっくりそのまま瞑想になる。それによって、悩み苦しみ、不必要なトラブルは減る。人間関係も良くなり、仕事のパフォーマンスも上がる。人生のクオリティをどんどん高めていくことができる。

今回、日本一時帰国中に伊勢という日本人の心の故郷とも言える土地に立ち寄り、ブッダのメッセージと瞑想法をお伝えできるご縁をいただくことになった。

尊きご縁に心より感謝し、みなさまとの一期一会の出会いを楽しみたい。(プラユキ・ナラテボー)

 

 

参加者の感想

 
   

■昨日はありがとうございました。とても良い一日になりました。プラユキさんのお話はとても分かりやすかったです。瞑想のヒントも沢山ありました。大切に思い出しながら、毎日の生活に生かしていきたいと思います。また、申し込みにとても丁寧に対応して頂き、最終確認のメールも頂き、「私には夢がある」さんを、今回初めて知ったのですが、とても好感を持ちました。プラユキさんと「私には夢がある」さんの両方のすばらしさのお陰で、とても穏やかで、心暖かく、嬉しい気持ちの、とびきりの一日になりました。ありがとうございました。(Y.E)

■昨日は、ありがとうございました。ここ数カ月はハートが課題でした。講演中に、ある切っ掛けでハートのエンジン回転が少し動き始めました。幼少期からハートが停止して、今までになります。表現しようのない感謝の気持ちです☆ あの場所では身体に負荷があったのですが、一日明けて、スッキリ。気持ちよくお礼の連絡をさせていただきました。プラユキ先生に、改めて感謝の念をお伝えください。(N.H)

■講演会ありがとうございました。プラユキさんの本は一度読ませて頂いていたものの、
「タイで20年以上も修業したお坊さん」「瞑想」「仏教」と聞いて構えずにはいれませんでした。 しかし、プラユキさんが出す「いいんだよ。」という柔らかい空気にどんどんはまり込んでいき、「なんでこんな空気が出せるのか、やっぱり修業なんかなぁ。」と興味が尽きず、僕の頭のリセプターは見事に開ききっていました。

公演の内容は私のこの疑問にぴったりと合うもので、惜しみなく、全てを諭して頂いたように思います。まだまだ仏教の勉強が浅い私ですが、「念」という字の通り、今に心を込めて、生活していきます。ふっとした時間に瞑想しています。特にお風呂の浴槽はおススメです。大切なものの確認、新しい気づきがたくさんあったすてきな講演会でした。本当にありがとうございました。(Y.M)

■瞑想会は、とても面白かったです。具体的な悩みを抱えてこられた方にとっては、
物足りないこともあったようにも思います。僕のように軽い気持ちで参加して、少し申し訳ない気もしました。
 
僕の印象に残ったのは、「苦諦」の部分です。少し記憶が正確ではありませんが、苦しみをもたらすもとになっていることを明らかにするということだったかと思います。苦しむまえに、そのもとを見つめてみる。その話と、質問した女性とプラユキさんとのやりとりとが、僕の頭の中で重なりました。彼は、 怒りの前に、自分が何を感じていたかを表現するように諭していたかと思います。僕は、怒りを出すことを恐れて自己主張がしづらくなってしまうことがままありますが、怒りのもとになった自分を表現するとはできると思います。怒りも、僕にとっては苦しみをもたらすものであることを考えると、プラユキさんの話が具体的に腑に落ちました。(Y.M)

■時期的に忙しいときでしたので参加をするのに少しばかり無理をしましたが、 実際にプラユキさんにお会いできて本当によかったです。参加者の方々も素敵な方ばかりで、皆さんの発言の中からもたくさんの気づきがありました。気づきの瞑想は少しずつ生活に取り入れています。よき縁を作る(環境を整える)ことから、少しずつ取り組んでいきたいと思っています。(J.O)

 

 

仏教の瞑想とは?

 
 

釈迦(ブッダ)によってインドで生まれた仏教が、没後広まる過程で、大乗仏教と上座部(小乗)仏教にわかれた。日本の仏教は、大乗仏教の流れを汲んでいるもので、人のためにという「利他」の心をはぐくむもの。それに対し、タイで信仰されている上座部仏教は、出家仏教ともいわれ、出家した僧侶が瞑想などの修行することによって、自らの苦から解放されるというものだそうだ。

出家仏教なだけあって、お坊さんの修行方法というのがしっかり確立されている。つまり、修行の根幹である瞑想というものの、そのやり方が確立されている。

瞑想には主に2種類あり、能動的な「サマタ」瞑想と、受動的な「ヴィパサナー」瞑想がある。サマタ瞑想では、イメージで光を動かしてみたり、心の中でマントラ(例えば、ありがとうとか、アーメンという言葉)を唱えたりして、意識を集中させて雑念が出てこないようにするもの。一方、ヴィパサナー瞑想では、あるがままに自分の気持ちや思考や体の動きを観察するというもの。行動にラベリングしていく方法もあるけれど(例えば、今○○を見た、今○○のことを考えたと、無意識にしていることを言語化するやり方)、プラユキさんがいるスカトー寺ではもっと自然な方法で、ただ「今、ここに、いる」ということに気付いているということを意識する「気づきの瞑想」を教える。

その、ヴィパサナー系の「気付きの瞑想」というのは、文章でどんな感じかを説明するのはとても難しい。私はヴィパサナー瞑想に関する関連書籍を、タイに行く前にほぼ読んだにも関わらず、読んだだけではまったく何のことやらわからなかったから。「あ、この感覚ね」というのがわかりはじめたのは、実際に体験してからのこと。

とにかく、私たちの頭というのは、いろんなことを考える力があるようだ。その力がいきすぎて、妄想にまで発展するようなことも考えたりもするし、ある考えに固執しすぎたりもする。忙しい現代人は、何でも頭で考えるので、自分の心の声を静かに聞けなくなっている。大自然の中にいると、その静けさというのはえられるけれども、せわしない都会ではなかなか難しい。

それが、瞑想することで、今にちゃんといられるようになると、自分の声というものもしっかり聴こえてくる。心時代、癒しの時代の現代では、瞑想というのは、今後当たり前に広まっていくだろうな、と思う。(和田清華)

 

 

プラユキさんの言葉を一部紹介

 
   

●「安定した気持ちで全体のプロセスを体感的に受容し、理解を深めていく」ということの重要性。これはそっくりそのまま瞑想行の核心でもあり、また、心を癒し、成長させていくために必要とされる重要な要素です。

●私たちが「過去」や「未来」と称している時間というものは実はすべて今ここの思考作業によって瞬時瞬時に形成される心理的創造物ということなのですね。それは決して自分から離れたどこか別な所にあるわけではないのです。過去の後悔や恨みつらみも、また、未来の心配や不安も、すべて今ここでの心の中のおしゃべりによる創造物です。ですからそれに気づいて今ここでそのおしゃべりを止めれば、その瞬間に後悔や不安も消失します。誰でもが今この瞬間に、どこにも行かずに過去や未来の苦しみを軽減させたり、滅したりできるわけです。

●「これからの時代は智慧と慈悲が調和し連動した平和運動、すなわち「気づきや智慧を通して自身の内面の物語やイメージを理解し、自己との平和的な関係をしっかりと築き、その上で一個人の心の平和に完結してしまうことなく、豊かな対話を通して人々へ愛や慈悲を蒔き広めていく」。きっとそんなスタイルの平和づくりが求められてくるのではないかと思います。

●「智慧」とは、「あらゆるものを“よき縁となす”こと」。もうひとつの核である「慈悲」についても「縁」という言葉を用いれば、「あらゆるものの“よき縁となる”こと」と言い表せるのではないかと思います。

・・・・・・以上は2005年の講演録より抜粋。→詳細を見る

 

 

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プラユキさんに会うと仏教のお坊さんイメージを
完全に覆される。気さくで人間味があり、
お説教はせず、とにかく話を傾聴してくれる


タイの山奥の寺で瞑想修業をするプラユキさん
3か月の研修のつもりが、気づいたら
出家してから22年がたっていた

早朝の托鉢の様子。祈りをささげる村の子供


瞑想をする講堂での写真。僧侶たちは一番前


日本と違い、タイの上座仏教は戒律が厳しい。
227の戒律にのっとり、修業にいそしむ


托鉢は毎朝行われる。タイでは托鉢は徳を積む
行為となるという考えがあり、みな熱心


2009年の東京瞑想会の写真です


こちらは2009年伊勢瞑想会の写真。
とてもやさしく穏やかな時間でした

こちらは今回の2010年伊勢瞑想会の写真。
ご参加の皆さま、ありがとうございました


『苦しまなくて、いいんだよ。』(PHP研究所)


プラユキさんの著書。読みやすくお勧め


監訳本。首から下がまったく動かないタイ人の
カンポンさんの瞑想の日々をつづる自叙伝


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